功名が辻「関白切腹」

功名が辻
第39回「関白切腹

ついに関白秀次が切腹されてしまった。
そして淀の一言で秀次の妻妾とその子ら39名が斬殺されてしまった。
秀次の謀反に加担したとして、秀吉の盟友前野将右衛門切腹

もう誰も狂った秀吉を止めることが出来ない。
悲劇だ。

ワタクシが抱いていた秀吉のイメージがこの「功名が辻」で見事に覆され、
好きな武将から嫌いな武将へ見事転落してしまった。
冷静に考えれば、一農民から天下人になるのだから、策略、
しかも抜け駆けをせずには昇ることは出来ないだろう。
相当なズル賢さが絶対に必要だ。
天下を獲った幸運は彼の死とともに不運に流れるのだが、これも自業自得か。


それにしても秀次役の成宮寛貴がメチャクチャマッチしている。はまってる。
若く、何か頼りなげで、跡目争いで根拠の無い自信を示し、秀吉にうろたえ、
悲しそうな目をする反面、色に溺れてしまう一面を持つ秀次が見事重なる。

秀吉に呼ばれ伏見へ向かう決心をした場面。
死を覚悟した秀次に千代がまたお目にかかりたいと声を掛けたとき、
笑みを浮かべ下を向き、顔を上げると目に涙を浮かべた顔になんとも言えなかった。

最後に秀次は秀吉にこう進言する。
「唐入りの兵を一日も早くお引きなさいませ。天下は天下のための天下。太閤殿下だけのものではございませぬ!」

秀吉の怒りに触れ、高野山に幽閉された後、切腹を命じられ、果てた。


また、今回心打たれたのが山内家の拾のこと。
拾い子のため、一豊の跡目を継ぐことが出来ないとされ、10歳で仏門の道に入れと諭される。
この拾が健気で、上手いんだ。
涙を流しながら、一豊の諭しを聞く姿は同情してしまう。
雪の舞う中、拾は山内家と別れを告げた。


その時代の風習、慣習、考えにより様々な別れがある。
今回の数々の別れは戦国末期の時代を特に象徴していると思う。

さあ、物語も終盤。
大きな別れが近づきつつある。