旅立ちの朝になってしまった

朝のニュースで勘三郎死去を知る。


朝はバタバタしていて気が紛れていたが、時間が経つにつれ、寂しさと悲しさが押し寄せる。


もうしばらく更新していなかったが、前回のエントリーで松本に訪れたことを書いた。そのとき訪ねるついでに何かイベントがないかと調べていたところで勘三郎復帰公演が芸術館で催されたとことを知った。もちろん日時がとうに過ぎているので観ることはできなかったが、今思うとその公演が最後の地方公演だったことになる。


彼が近しく感じるのは、シネマ歌舞伎『野田版・研辰の討たれ』を新橋演舞場で観にいったときに、サプライズで彼が登場して、そのときの自身の演技の不満からか、恐縮して挨拶していたのを思いだしたこともあるが、彼が自分の父親とほぼ同年齢であること、彼の子どもである勘九郎七之助兄弟が私と私の弟と同い年であることがあるだろう。テレビ番組で勘三郎一家を長年追い続けたのを見たこともある。その番組のナレーターは先日亡くなった森光子だった。


歌舞伎俳優では最もテレビに出演していた一人と思う。ドラマでもバラエティでもドキュメントでも。だから余計に親近感を感じたのかも知れない。二枚目ではないが、華のある、無邪気なそしてかなりの実力を備えた俳優だ。


今年の年頭にNHKアーカイブズ番組で若かりし頃の当時勘九郎、当代勘三郎が初めて鏡獅子を演じるにあたり、密着取材した番組が放映された。司会は勘三郎を先代、当代をともに知る山川静夫。そのアーカイブズのゲストは当時勘太郎、当代勘九郎だった。勘太郎も襲名にあたり、精進する自分と当時の苦悩する勘三郎を重ねたことだろう。語りぶりが父勘三郎とそっくりであったことを思い出した。


勘三郎を継いでまだ7年。自身の老成した演技とともに、子どもたちをはじめとした後進の指導などまだまだやるべきことがあったことだろう。病を克服して何事もなかったように舞台に再びあがり、威勢の良い江戸言葉であと30年くらいは皆を楽しませてくれると安易に想像していただけに、この訃報は驚き、ひどく落胆した。


何かしらアウトプットしないと気持ちが落ち着かない。


報道によると子どもたちは舞台のために京都へ向かったとのこと。悲しみを抱えながら、歌舞伎が受け継がれていく。